「僕は本当に普通な人間で普通であることを誇っている」

世の中の成功者はそういう人が多いし、実際にそれは間違いはないことなのかなと思うけども、僕は自分自身を見て「普通な人間」という点においてはトップクラスに自信がある。

というのも、はっきり行って成功者というのは本当に頭がいい人ばかりだと常々肌で感じるからだ。

突拍子もない人生を送ってきたり、家柄がめちゃくちゃ良かったり、経営者の家計だったり。

なにかしらそういう「因子」的なものをもっている場合が非常に多い。

正直に、そういう人間に憧れていた時期もある。

もっと子供の頃に苦労していれば、、、それこそ不幸なことが起きていれば、、、中二病を拗らせるとこういう感覚になるのかな。と思ってしまうような考えだったが、「自分がもっと不幸だったら今はすごい強いのかな」そんなことを思っていた時もあった。

そんなことを本当に辛い思いをしている人の前で言ったら、きっとぶっ飛ばされるし、今の僕自身も多分そうする。普通に怒る。

本当に視野の狭い意見だったと思うが、少なくとも僕はそんなことを思えるくらい人生を普通に平凡に、あまり考えずにすごしていたということだ。

普通に生きて、普通のレールに沿って、普通な人生を送っていく。

それで悪くないと思っていた。自分はそういうものだと、人ってそういうふうに行きていくものだと思っていた。

別に嫌じゃなかったけども、気づけば僕はいわゆる「一般的」とは少し外れた人生を送ることになった。

もはや何が「一般的」であるか?なんて質問には意味はないし、その定義も曖昧かもしれないけども、少なくとも、僕は自分自身で経営をしたり、何かを成し遂げるような人間ではなかったように思う。

これは、一人の人間の物語、普通で、少しだけ不器用な人間が、幸せになることを目指した途中過程。

 

0歳~

1990年、僕は足立区にて田岡家の長男として生まれました。

父親は会社に勤めていて、母親はパートを掛け持ちしながら僕を含めて3人兄弟を育ててくれた。

決して裕福とは言えなかったけども貧乏とは言えない家庭でした。

むしろ、恵まれている方ではあったんじゃないかな??と思います。

クリスマスプレゼントは小6までもらえたし、(小4まで信じてました)
家には沢山漫画があった。
PS2も割と出て直ぐに買っていたし、
賃貸じゃなくて一軒家で育ちました。

ずば抜けた実績がある!(のかもしれませんが)というわけではないのですが、
そこまで不自由なく、子供を大学まで3人行かせるくらい働いていた父親と。
いつも家事をこなしてくれた母親。

純粋に、普通に凄いしっかりとした両親に、僕は育てられたんだな。と今になってしみじみと思います。

 

そんな子供の頃の僕がどんな人間だったか??といえば

一言で言えば「ちょっとプライドの高い、一般的な男の子」というのが一番当てはまる表現なのかなーと思います。

小学校の頃のテストは基本的には算数、理科は満点。国語も表は満点、裏は50点。社会は80〜90点。

こんな漢字で計算は得意で、漢字や物を覚えるのがひたすらに苦手な性格でした。

好きなスポーツはバスケットボールで、家に母親が持っていたスラムダンクが並んでいて、それを読んで一発でファンになったのを覚えています。

僕の小学校の周りにはミニバスクラブがなかったけども、幸い小学校の先生はバスケ好きだったので、放課後に体育館を使ってバスケをよくやらせてくれました。

そのまま小学校4年生からバスケクラブに入って、小学校6年まで、僕はバスケクラブに所属して過ごしたのを覚えています。

こうして話すと僕はまるで「バスケットボール選手になるのかな??」くらいに聞こえるかもしれませんが、なんてことはなく、単純に好きだったからバスケットをやっていた。というだけです。

プロになるなんて全く考えなくて、漫画でバスケがかっこいいと思ったから、やっていた。それだけでした。

 

ただ、正義感は小さいながらに強くて、一言で言えば「理不尽が嫌い」というのが僕の根本の正確でした。

今でも覚えていることは、バスケのクラブのときに先輩に怒ったこと。

人に怒ったことなんて殆どない僕でしたが、多分、あれが人生で初めて「キレた」ときだと思います。

当時の僕は小学4年生、ワクワクしながら入った「バスケクラブ」は当時小学6年生にいた子の好き勝手する遊び場になっていたのです。

あまり覚えてはないですが、試合の時間になっても遊んでて試合が始まらない。とか、そんな内容だったかなと思います。

本当におぼろげな記憶しかないですが、僕は確かにその姿を見ていて、何度めかのクラブのときに初めて人に「キレた」んです。キレた。といっても僕は喧嘩もしたこともなければそんな度胸もなかったので言葉をぶつけるだけでしたが。

「なんでみんなが楽しもうとしてる時間を奪うんだ!!」的な事を言ったのかなーと思います。

漫画みたいな感じで、みんなから歓声を受けたり、褒められたり、ぶつかってその後その6年生と仲良くなる!なんてことは起きませんでした。

結果的には、その後はクラブ運営は非常にスムーズになり、僕はその後のバスケクラブを非常に楽しく過ごせたのを覚えています。
(多分ですが、その6年生もまさか下の学年からそんなことを言われるとかは思ってなかったのかもしれません。)

趣味で言えば、漫画やゲームは大好きでした。

両親も漫画が大好きだったので、その影響は強く、家には1000冊を超える漫画本があったので、暇さえあれば漫画を読んでいたのを覚えています。

それこそ、小学生ながらにもらって嬉しかった漫画は「らんま1/2」。

クリスマスプレゼントで全38巻の漫画をもらった僕は、ひたすらぶっ通しで2日間でその漫画を読み切ってました。

ゲームはもっぱらRPGが大好き。ただ、思えばストーリーを進めることじゃなくて、キャラを育てることが僕は好きだったのだと思います。

実況パワフルプロ野球。通称「パワプロ」と呼ばれるゲームが大好きで、イベントを遂行してプロ野球選手を育てる「サクセス」モードをひたすらやっていたのを覚えています。

それこそ、パワプロが大好きすぎて中学校に上がったときには、

パスケ部に入るか、野球部に入るかを迷っていたほどでした。

 

影響されやすい子供でした。漫画が大好きで、ゲームも大好き、バスケも楽しかった。結構勉強もできた。

落ちこぼれの分類ではなかったのでしょう。

ただ、友達の数は多くはありませんでした。

 

仲いい人が2,3人いるくらい。クラスごとにグループが分かれているけども主力グループには入らないで、サブ的なグループに所属している。

そんな感じが当時の僕の交流関係でした。

思えば、この頃から僕は人間関係自体は余り得意ではなかったのかもしれません。

心を打ち明けられる人というのは本当にその2,3人程度。

 

今になって思えば、僕は子供の頃の性格をそのまま受け継いでいるなと思います。

・子供の頃から理不尽が嫌いで、何もしてないのにイジってきたり、
攻撃をされることが大嫌いでした。
なにかしたならばわかりますが、何もしてないのに何かされるのはよくわからないって思ってました。

・持っている能力を活かすことが大事。
僕は勉強は好きではないけども、得意な部分があった。
それならば、勉強して数字を出そう。

・本当に繋がりを感じられる友達がいれば、別に多くいる必要はない。
ただ、仲良くなった人とはそれこそ一生涯付き合っていくつもりで行こう。

・基本的に寝るのが好き。漫画が好き、小説が好き。
自然の中で美味しい空気を吸いながらのんびりするのが好き。
漫画を見て、妄想にふけるのも大好き。

 

そういう子供でした。

そんな子供だったので、それこそ生まれてから大学生に至るまでは、
いわゆる【普通のルート】を歩んでいたと思います。

いい成績をだし、いい大学に行き、いい就職先を見つけて、行きていく。

ぼんやりと、そんな風に生きていくのだろうなって思ってました。

多分僕も例に漏れず、そういう生き方をしていくのだろうな。って。

 

あとは、何不自由なく生きてきたので、それまで本当にどうしようもない困難。に出会ったことがありません。

だから、非常に楽観的です。

これまでも多くの方から

「田岡さんと話していたらなんとかなる気がしてきました」

という声を頂くことがありました。

この特殊な癒やしの力があるとしたら、間違いなく両親が僕を何不自由なく育ててくれたからです。

僕は父親からも母親からも、仕事も家事も当たり前に高い基準でこなしていくという。
本当に素晴らしい「常識」をもらいました。

だからこそ、程よく頑張ることを知っているし、未来を楽観視して生きている土台があるのだと思います。

本当にありがたい家庭に生まれたものです。

 

ただ、そんな普通の家庭に生まれた僕ですが、
大学3年生、ちょうど20歳の頃からは一転した人生を歩むことになりました。

その続きはこちらからどうぞ。↓

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エピソード4 初めて人と向き合った年(23歳)

エピソード5 番外編 人生のパートナーを決めた瞬間

エピソード6 番外編 世の中には恐ろしい人がいると思った時のお話

エピソード7 雇われながら自由に好き勝手に生きる。